前園長が、昭和63年4月、教員を退職して、故郷池川に里帰りし、
高齢者生産活動センターを間借りして、屋上にバラックの厨房と食堂を設け、
池川塾を開設したのは平成元年4月4日の桜花爛漫のころでした。

全寮制の学校で生徒たちと生活を共にしながら、落ちこぼれていく子、悩める子たちを何とか救いたい。
退職したらそんな子たちの相談相手にたすなって白立を援けるための仕事に余生を捧げようと考え続けていました。

思えば退職も間近い二月末。
「どこか3,3泊で二人で旅をしよう」というのです。
今まで無かったことに戸惑いながら、近くにあって一度も乗ったことがない窪江線(窪川~江川崎間)で
宇和島近辺へ行こうということになりました。

その列車に乗ると主人はポケットからたばことライターを出し
「これをぼくがほしいというまで預かっていてくれ。」というのです。
何かわけはわからないまま預かりました。
車中で、「今度の仕事をするに当たって、先ず自分が煙草を絶たなければならないと思うので。」というのです。
一日に2箱はほしいこの喫煙家が、すぐに弱音をはくに違いない。と預かりましたがそれ以来煙草を口にしませんでした。
しきってガムを噛みこらえ続けました。

「ぼくは、煙車をやめたのではないよ。休んでいるだけ。」といいながら、果てるまで殴わずに終わりました。
(以上また次に)